■世界トップレベルの材料科学研究拠点の形成へ,AIMR,東北大学
に
“研究者としての喜びは、その研究成果が世界から認められることにある。”
とあるが,他人の評価を研究の最大の動機にするのは危ういなと思う。
自分の探求したいことが明らかになるのが最大の喜びなんじゃないの?
と疑問も感じた。
■世界トップレベルの材料科学研究拠点の形成へ,AIMR,東北大学
に
“研究者としての喜びは、その研究成果が世界から認められることにある。”
とあるが,他人の評価を研究の最大の動機にするのは危ういなと思う。
自分の探求したいことが明らかになるのが最大の喜びなんじゃないの?
と疑問も感じた。
「社会のニーズに合う研究をします」「~社会に役立つ研究です」
という文言を見かけることが多くなった気がしますし,
研究費の申請でもこのようなことを書くように求められますが,
これには個人的には違和感を覚えます。
次の記事タイトルにある言葉は,
ノーベル賞受賞者が言うから正しいわけではありませんが,
研究の現場にいるからこそ重みをもつと感じます。
■「科学が『役に立つ』という言葉が社会を駄目にしている」 ノーベル賞・大隅教授,ITmedia ニュース
■パチンコなんかクズがやることだよ。,ナリ心理学
を読んで感じたことを書いておきます。
自分は役に立っているんだとことさらに強調したくなるのは
そう思えることが自分にくっついていないと
価値がないんじゃないと自分に不安があるからです。
役に立つと判断されやすいこと(しかも大抵これに「すぐに」も付いてくる)を
している人”だけ”を素晴らしいと考える「価値観」「固定観念」に
囚われているともいえます。
特定の価値観からみて”役に立つ”と判断できる範囲に入るために
この世の生命・物は存在しているの?
というそもそもの疑問もあります。
役に立つかどうかは主観で変わりますし,
「すぐに役に立たない=今後もずっと役に立たない」でもありません。
「(すぐに)役に立つことを論理的に説明できない研究はやっちゃダメ」
っていう雰囲気は工学系だからというのもあるけど強く感じます。
研究の根本的要求は,不思議に思ったことを探求したいという
「興味や好奇心を満たすこと」,要は娯楽も多いはずなのですが……。
娯楽要素を禁じると,研究に対するモチベーションや
独特な発想をつぶしてしまう可能性もあります。
娯楽としての研究はダメ,
なんて決め付けられないんじゃないかな。
人間の認識パターンとしてストーリーがあったほうが
理解しやすいこともあります。
これは研究においてでさえそうです。
ある意味仮説を立てることもストーリーを考える要素を含んでいます。
ただし,これは「人間が理解しやすい」だけで
ありのままの真実を明らかにしやすいかどうかとは
別次元の話です。
次の記事は,人間の心情としてはストーリーを考えてしまうけれど,
それを受け入れつつストーリーに頼らない研究のあり方も
大事なことを認識させてくれます。
■牛の殺処分を拒否した畜産家が、世界初の実験で明らかにした被曝の影響とは,産経ニュース
http://www.sankei.com/affairs/news/160221/afr1602210001-n2.html
とくに最後のほうにある言葉に重みを感じます。
下に引用しておきます。
「本当だったら何も出ないで幸せな形で終わるのが一番いい。それが住民の帰還や復興にもつながる。しかし、私たちはストーリーも到達点もつくらない。」