タグ別アーカイブ: 学び

失敗に罰を与えて切り捨てるのはもったいない

失敗したら罰を与えるというのが進んで行われているのが今の大学。

研究で失敗したら資金提供を打ち切ります。
連動して一部の人には責任を取ってクビになってもらいます。
クビになるのは立場の弱い若手研究者や事務補佐員です。

こんなんで失敗から学ぶ人を育てられるとは思えない……。
失敗した人は追い出されるから失敗からの学びも生かせない。

研究には失敗がつきものなのに失敗には罰が待っているので,
いかに失敗していないように”評価者には見える”
プレゼンや報告書を作るかが腕の見せ所になってしまうことも。

成功からも学べるし,失敗からも学べるんだけど,
後者のほうが学びが多いから失敗を封じちゃうと
研究成果の本当にいい部分も切り捨ててしまう可能性が高まってしまう。

成功と評価しやすい非常に狭い価値観に入る情報しか世に出なくなる。
これはすごくもったいないのではないか。

研究が相手にしている「真理」はそんな狭い価値観に入るかどうか
お構いなしに存在しているのだから。

メンタルブロックにはまるのも私たちに必要な機能

次の田久保剛さんの解説を読んで
メンタルブロックに陥る瞬間も学びを得るために
必須のプロセスの一つであることが伝わってきた。

「メンタルブロック」は無い「ステップ」があるだけ,
無限なる本当の自分に出逢う道

行動のブロックになりそうな感情も,
その感情を味わうからこそできる学びや役割がある。
こういう感情に陥るのも必要な機能なのだろう。

たとえば「面倒」だからやらない,で終わらせることもできるが
(これでも面倒と感じることは終わる),
面倒なことを緩和する方法や手段を考えることにつなげることもできる。
こうやって生まれたものが生産性を上げてくれる。
「面倒」と思う機会も自然と消えてしまう。

メンタルブロック=悪,消さないといけないもの
と決めつけることはできない。
メンタルブロックに陥る瞬間にも何らかの意義があるのを心に止めておくこと,
ブロックにはまっている自分を客観していこうと感じた。

私自身次のようにメンタルブロックに関する
Kindle電子書籍(Unlimited対象)を書いているので
今回の内容はとくに印象に残った。

やめたくてもやめられないことにも独自の役割や学びがある

次のリンク先にあるように,
「何かをしなくなってしまっている=することを忘れる」だから
「○○してはいけない」という禁止だと
○○を覚えとかないといけなくなる。

覚えているためにやめることを意識しちゃうから
そりゃうまくいきにくいわな。

禁煙できません。,ナリ心理学

>>続きを読む

仕事と遊びの境界がなくなっていく

分離意識からくる幻想は,私たちは欠けていて不完全な存在だと思い込ませますし
(この不完全さを埋めるために自分の外からくる固定観念に依存してしまう),
ハラスメント・暴力・争いといった「攻撃」による痛みを私たちに感じさせます。

この痛みは普遍意識を思い出すことを促してくれていると思います。
分離ではなくつながり,全体を意識することの大切さを……。
(全部がつながっているという前提に立つと,
「切り離された何か」を「攻撃」することは不可能になります,
切り離すことなんてできないのですから)

次の記事の考え方も共感するところが私にはあります。
「エンターテイメント」と「学びや仕事」の境界も
取っぱらっていくのがいいんだろうなと感じています。

英語を学習できるソーシャルゲームの作り方,しっきーのブログ

遊びをお金にすることは
Youtube・ニコニコ動画・ブログ・クラウドファンディングなどで
可能になってきています。
遊びと仕事を切り分けるのに意味はなくなっていくのかもしれません。

現状の価値観で仕事と思いやすいことをすること=貢献
という限られた視野も広がるでしょう。

現状では仕事とはみなされていない形の貢献が増えることは
世の中が豊かになることにもつながります。

貢献とはこうあるべきという固定観念や魂へのフタもなくなっていきます。
すると固定観念に従うことからくる我慢がなくなって
自分に素直に出せる喜びや満足感が広がります。
自分が楽しんで心穏やかでいることは
世の中から「攻撃」という幻想を減らし,
全体を調和させることにもつながります。

まとめると,境界や分離を手放せば
自分の性質にOKが出せるようになるし,
その性質を表に出す覚悟や勇気も湧いてしまうだろうし,
結果として性質を素直に生かせるようになるし,
自分の内面も平和になる
ということです。
おまけで何らかの評価とか,現状で成功とか言われていることは
ついてくるかもしれません。

失敗すること自体が問題なのではない

ここに埋め込んだ動画では投資が例になっていますが
何かをして思い通りにならない=失敗と
判断されることが起きるのが問題なのではなくて,
失敗からフィードバックを感じ取れるか,
次の行動に活かそうとしていか
が大事なのを再確認しました。

■【森田正康×堀江貴文】投資編vol.3〜居酒屋ホリエモンチャンネル〜

失敗したことがあるのを経験として評価する,
経験があるから失敗するにしても上手くできる,
ととらえていくのはいいなな,と感じます。

投資も小さい失敗を多くするつもりでいるほうが
投資家としての成長も早まります。
いかに儲けるかよりも,
自分が引き受けられるリスクレベルに投資額を抑えるか,
傷が小さいうちにロスカットを実行できるか,
のほうが大事だったりします。

また,思い通りにならないことから学びを得させること,
思い通りにならないことも含めた一連のプロセスを味あわせたい,
というのが普遍意識の目的なのかな,とも思いました。

何かを学んでいる状態でい続けないとダメなのか?

このブログも初めてから2年と5ヶ月,
記事数も800近くになってきました。

大きく止ることなく書き続けてはきましたが
モチベーションは一定だったかと言われると
そうでもありません。

これ以上表現すべきことはあるのだろうか?
と思うことがときどきあります。

>>続きを読む

自分の学びを全体のために生かすのはいいが,自分の価値の証明に使おうとするとおかしなことになる

次の心屋仁之助さんのブログ記事を読んで
感じたことを書いておきます。
教育に関わる身としては自分にも多いに関わる内容です。

■カウンセリング技術が高いと、不幸な人を量産する
http://ameblo.jp/kokoro-ya/entry-12005851852.html

>>続きを読む

学びたいと思った瞬間が最善の瞬間

この学年ではこの内容を学ぶといった具体に
学ぶ順序と内容を教える側が設定すること,
教わる側がこの設定に従うことが
小学校から大学まで制度化されています。

ただこれは最善なのでしょうか?

>>続きを読む