タグ別アーカイブ: 固定観念

行動してもしなくてもいい,他人の行動を促進させてしまうのは余計なお節介かもしれない

このブログを始めたころに
行動を促進するには?」なんて記事を書いたのですが,
今になってみると
「行動=善」の固定観念が背景にあるから
対策を考えようとしてしまっているなと感じます。

自分の魂が設定してきた課題に関連することは,
小手先の自我意識的な対策なんてしなくても
勝手にできてしまうか,
やらざるを得ない状況に自然と追い込まれてしまうのが
本質のような気もしています。

やろうかどうがもがくこと自体も味わいたいこと,
心の奥底が求めている課題に関連していることかもしれません。

他人の行動を促進してしまうのも
無理矢理感が出てしまうと余計なおせっかいになってしまいます。

行動が止っているときもその人にとっては
かけがえのない必要なプロセスなんだろうなと今では思います。

深い意識の底はめまぐるしく活動している可能性もありますから。

要は動けないことを責めなくていいってことです。

とはいえ動けないのがあまりに苦痛なときは
失敗できないレベルの小さいことをやってみるのは
悪くはないとは思います。

ゆっくりが語る心理・真理の話 22 どっちでもいいんじゃない?

Youtubeでご覧になりたい方はこちら↓です。
“ゆっくりが語る心理・真理の話

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「普通」になれないのは独特の性質を生かすため

「~すべき」「○○はダメ」という固定観念をたくさん守っているのが
”普通”と思われている人。

そして,固定観念が多いほど全部は守れなくなってくるから
そこから外れやすくなり,たたける点も増える。
だから厳しくなるんじゃないだろうか。

たとえば,働かない人間をたたきたくなるのは
「働くべき」という固定観念があるから。

「働いてもいいし,働かなくてもいい,その人の状況次第で識別すればいい」
と思っていたらたたける相手はいなくなる。

ほかにも,投資や不労所得が「普通」の人に忌み嫌われるのは
「普通」の人には「勤労所得だけで生活すべき」「楽して稼いではダメ」
「収入は安定させるべき」という
固定観念があるからだろうな。

労働者が労働者に厳しくて足を引っ張り合っている,
経営者や社会よりも
自分に近い人または自分をまずは責めてしまう話も
小飼弾さんの話には出てくる。
たとえばこちら↓

小飼弾のニコ論壇時評〜AlphaGo引退、SoftBankのIBM Watson活用にみるAIが作る未来〜,ニコニコニュース

余談だが,大学も上の立場の人ほど強く守られていて「甘い」。
研究プロジェクトに失敗したら
責任を取って下っ端の教員やポスドクをクビにします,
教授の立場は守ります,というのが今の大学。

本題に戻ると,不労所得が単純に楽とは決め付けられないし
不労所得でも勤労所得でもお金を稼いでいるのはどっちも同じなんだが……。

次の記事の「オトナは生存バイアスが大好き」のところも
普通っぽく見える人が大金を稼ぐのはけしからんけど,
特別な人が稼ぐのはOKとみなしているわけで,
”普通に見える人に最も厳しいのは自分が普通と思い込んでいる人”を
示していると思った。

「お金は汚い」などと不労所得を否定するオトナの言い分を代弁してみる,伴 OFFICIAL BLOG

固定観念から完全に自由になるのは無理だが
少しでも減らしたほうが自分も心穏やかになれるし,
状況に柔軟に対応した最適な行動がしやすいし,
この結果周囲も心穏やかにしたり
貢献したりすることもできるようになる。

ただ,普通でいるとたたかれやすくてしんどい思いをするのは
「普通でいるのをやめたら」という意識の深いところからの
メッセージなのかもしれない。

それに完璧に「普通」な人なんて多分いない。
固定観念からずれた独特な面を必ずもっている。
そして,この独特な性質があるから自分も周囲も学べるのであり,
その性質を生かすのが一人一人の役割
なんだと思う。

このような現状だから,
「あいつは”ちょっと”変だ」くらいに思われていたほうが周りは放置してくれて,
返って自分独特の性質を活かしながら生きやすいかもしれない。

普通だと思われていると「普通はずなのにこんなことするのはけしからん」
と言われてしまう。

でも程度が過ぎると警察を呼ばれてしまうかもなのでほどほどにはしないとね。

固定観念や執着は”試しに一時的に”手放してもいい

心理やスピリチュアルを学んでいると
「執着を手放しましょう」
という表現を目にすることになります。

しかし,こう言われたくらいで手放せるなら
執着にはならないでしょうし,
「そんなこと言ったって大丈夫かわからないじゃないか」
と言いたくもなるでしょう。

それに,「執着はいついかなるときも悪」としてしまうと
これも別の固定観念になってしまいます。

執着という特定の傾向のあり方や行動は
その人の個性の一部でもありますから,
「執着を無理矢理でも手放せ」というのは
「個性を発揮するな」と言ってることにもなりかねません。

ではどうすればいいかというと,
一時的にその執着を手放すことをテストしてみればいいのです。
あくまで試すだけという認識で手放してみるのです。

試して問題なければそのまま手放せてしまえるでしょう。
それでもやろうと思ってもできないとか,
問題が起きたとしても,その執着とよばれるものは
今のあなたに必要だとわかるだけです。

執着は手放す”べき”で手放すというよりも
必要なくなったら自然と手放せてしまうものなのだと思います。

執着が手放せない自分はダメと
否定的にジャッジしなくていいんです。

また,「……したい」「こうあるべき」「○○してはいけない」
といった執着はあなたに独特な表現や役割にもつながっています。

「執着を手放せた=善」とは決めつけられないのです。
特定の執着を一時的にもつことがあってもいいのです。

ただ,その執着があなたの感性にフタをするものになっていないか,
あなたの行動を阻害するものになっていかないかだけは
気をつけたほうがいいでしょう。

ただの否定的なものではなく,
行動の推進力として「執着」を活かす視点を
この記事からもってもらえれば幸いです。

座ってするばかりが勉強ではない,とくにビジネスにおいては

勉強は座ってするもの,
勉強してからでないと実践の場に出てはいけない,
ビジネスでは上記の固定観念が当てはまらないことも多い。

動きながら学んだほうが早くて効果的な場面もあるのだが,
学校での座学中心の学習スタイルが染み付きすぎているのが
足をひっぱることがあるのは肝に銘じておきたい。

学習と実践は同時平行でもいいのだ。

行動からフィードバックを得て,改善してまた学ぶ……
この『論語』でいう「仁」の学習サイクルを回すこと,
このサイクル回すために自分の感性を生かせるようにしておくこと,
感性にフタをするものを回避するようにしておくこと,

これらが大事なんだろうなと思った。

固定観念から自由になるには「他力」が必要

家庭・学校・職場・地域,放っておくと自分が所属する
組織の固定観念に縛られてしまう。

「固定観念に縛縛られなくていいよ」という言葉は
嘘ではないが言葉だけでは効果が薄いんだろうな。

固定観念からの縛りの影響が少ない人に
職場の外で触れる機会があったから
新たな一歩を踏み出そうと思えたのだと思う。
「他力」は偉大だ。

また,強烈に縛ってきてひどく苦しめてくる人のおかげで
固定観念を手放さざるえない状況に追い込まれることもある。
これも「他力」による固定観念からの開放だ。

そんなことを次のツイートから思った。

お金とのつきあい方が人それぞれなのはそれだけ普遍意識が味わいたいパターンがあるから

金銭的に成功する法則の情報は
ネットや本でたくさん手に入ります。
そのための方法や考え方,あり方は様々です。

これだけ情報が充実しているのに
お金持ちになれない人もたくさんいます。

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