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執着は手放すべきなの?

「執着」「こだわり」はネガティブに思われやすいですし,
手放す「べき」だと言われることもあります。

でも,手放すべきと言われただけで
手放せることはあまりないでしょう。
これだけで手放せるようなら,
「執着」「こだわり」というほどではないか,
言われなくても自然と手放せてしまう
一歩手前いたと考えたほうがいいです。

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固定観念や執着は”試しに一時的に”手放してもいい

心理やスピリチュアルを学んでいると
「執着を手放しましょう」
という表現を目にすることになります。

しかし,こう言われたくらいで手放せるなら
執着にはならないでしょうし,
「そんなこと言ったって大丈夫かわからないじゃないか」
と言いたくもなるでしょう。

それに,「執着はいついかなるときも悪」としてしまうと
これも別の固定観念になってしまいます。

執着という特定の傾向のあり方や行動は
その人の個性の一部でもありますから,
「執着を無理矢理でも手放せ」というのは
「個性を発揮するな」と言ってることにもなりかねません。

ではどうすればいいかというと,
一時的にその執着を手放すことをテストしてみればいいのです。
あくまで試すだけという認識で手放してみるのです。

試して問題なければそのまま手放せてしまえるでしょう。
それでもやろうと思ってもできないとか,
問題が起きたとしても,その執着とよばれるものは
今のあなたに必要だとわかるだけです。

執着は手放す”べき”で手放すというよりも
必要なくなったら自然と手放せてしまうものなのだと思います。

執着が手放せない自分はダメと
否定的にジャッジしなくていいんです。

また,「……したい」「こうあるべき」「○○してはいけない」
といった執着はあなたに独特な表現や役割にもつながっています。

「執着を手放せた=善」とは決めつけられないのです。
特定の執着を一時的にもつことがあってもいいのです。

ただ,その執着があなたの感性にフタをするものになっていないか,
あなたの行動を阻害するものになっていかないかだけは
気をつけたほうがいいでしょう。

ただの否定的なものではなく,
行動の推進力として「執着」を活かす視点を
この記事からもってもらえれば幸いです。

分離意識も自我意識も必要だが手放したほうがいいときもある

今回も田久保剛さんのブログ記事・動画からになりますが,
分離意識も自我意識も必要だが手放したほうがいいときもあること,
私たちに備わっているものはすべて必要なこと
を感じました。

「分離意識」は悪いことなのか?,無限なる本当の自分で出逢う道

分離意識も自我意識も個性を認識して
自分の役割を果たすのに必要です。

でもこれらの意識だけですべてが決まると
執着してしまうと視野が狭くなって,
この二つの意識の外にある
潜在意識や普遍意識からくる情報を感じ取れなくなります。

もう少し具体的な話だとテクニックやスキルも
絶対的な良し悪しは判断できないのだと思います。

たとえばプレゼンでも初心者のうちや
人前で話すことに不安感の強い人は
原稿をしっかり作りこんで覚えたほうがいいでしょう。

しかし,これだとその場に集まった人の状態を感じ取って
話す内容を柔軟に調整することができなくなります。

本当の意味でその場に最適な話し方は
話すその瞬間瞬間で決めていくことになるからです。
これもプレゼンに慣れてきたら徐々に意識していくことでしょう。

私のブログの関連記事
プレゼンの経験に応じた準備方法
伝わるプレゼンをするために必要なことのまとめ

その人がどのような状況にいるか,どれくらい熟練しているか,
どのステージにいるかによって
必要なときと手放したほうがいいときがあって
一概に良し悪しを断定できないことは思いのほかたくさんあります。
固定的に判断すること自体を手放したほうがいいんでしょう。