タグ別アーカイブ: 幻想

自分が世界と思って見ているものは「幻想」で「意味がない」のか?

同じ世界に住んでいるようで,
私たちは一人ひとり異なった世界のとらえ方をしています。
脳の映し出した「像」が違うといってもいいです。

たとえば「お金」に対する辞書的な意味は共通の認識はあるでしょうが,
「お金」をどう思っているか,イメージをもっているかは千差万別です。

このため私たちが見ていると思い込んでいる「世界」は
「幻想」といえなくもありません。

じゃあ「幻想」だから「意味がない」のでしょうか?

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攻撃も防衛も非難も反論するのもみんな幻想

あなたに敵なんていないから,ナリ心理学

とか,安富歩さんの『ジャパン・イズ・バック』を読み返して
p.176に書いてある

”「国を守る」というのはまず「攻める気をなくさせる」ことこそが勝負であって,「攻められたらどうするか」を考えなければいけない時点でもうほとんど負けています。”

という表現から,
攻撃も防衛も非難も反論するのもみんな幻想
だと改めて感じた。

以前『ジャパン・イズ・バック』について紹介した1回目の記事はこちらです。

次の三宅洋平さんの選挙演説にあるように(1hr09minあたり),
”平和外交を徹底的に繰り返して,すべての国の人に愛される存在になるしかない”
まさにそのとおりだと感じます。

立場という幻想を手放すことに恐怖を感じてしまう

次の安冨歩さんの連載の2ページ目の終わりにある
表現が強く印象に残りました。

「人間は『今の立場を手放したら奈落に落ちる』と思いがちですが、落下してもせいぜい5センチ程度ですよ(笑)。」

引用元:
■第9回 安冨歩「歴史に学ぶ」
日本は満洲国のように崩壊しつつある
戦争と平和のリアル,
イミダス
(Webでの掲載は終了しています)

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他人への介入をやめるには幻想にエネルギーを与えずに放っておく

何も言わない勇気。人を信じる勇気。,ナリ心理学
を読んで感じたことを書いておきます。

他人に何か言いたくなるのは
自分の内面に固定観念があって,
「固定観念の基準から外れている=悪い」
と思い込んでしまうからです。

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どんな性質でも私たちは大丈夫

世間ではプラスと思われやすい性質や状態だろうと
マイナスと思われやすい性質や状態だろうと
どんな性質でも大丈夫,
良い悪いとかの二元論の判断ができると
思い込むのも幻想なんだろうなあと感じるようになってきました。

判断を手放す意識に今後向かっていくような気がしますし,
その流れを促したいな,とも考えています。
というわけで次のナリさんのfacebookポストをシェアしておきます。

みんなで失敗して、みんなで爆笑してればいいと思うんよ( *`ω´)みんな負け組になって、みんなで爆笑してればいいんじゃないかと思うのだ( ´ ▽ ` )ノみんな人生しくじっちゃったってことにして、みんなで爆笑しながらゆっくりや…

Posted by カズナリ タケダ on 2016年2月22日

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判断は幻想,お金も幻想

『奇跡講座』を読んでいると判断(善か悪か,罪か罪でないか)は
幻想であって手放していいですよ,
という話が何度も出てきます。

手放すにはまず自分が判断を握りしめていることを
認識する必要があります。

判断という幻想に気付かせてくれる記事です。
日常のあらゆるところで判断をはさんでいることを
思い知らされます。

とくにお金が絡むと判断が入りまくっているなあ,
と自分のことを認識できました。

ナリ心理学的「お金は使ったら入ってくる」の話。

★2016/6/6追記
普段私たちはお金に依存して生活していますが,
ベーシックインカムの取り組みも世界では出てき始めていますし,
そもそも貨幣を介さないやりとも可能なことが次のページを読むとわかります。

スイスのベーシックインカム制度否決。でも実は今すぐ導入できる話
黄金の金玉を知らないか?

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自分の欺瞞や幻想を感じ取る

大学の教員をしているのが
自分自身の最大の欺瞞なんだろうなあ,
と最近思い続けています。

簡単に別の道を選び出せればいいのはわかるのですが
内面に色々なしがらみや葛藤(これらも幻想)があって
すぱっとやめられないから欺瞞なんだろうなあ,とも。

「自分の目に映る=自分の内面にある」欺瞞を
感じ取ると胸の奥が重くなるような感触をもつのは
欺瞞を手放したほうがいいよ,というお知らせ現象かもしれません。

こういうことも文章で書くと
自分の内面を第三者的にとらえる練習になります。

「葛藤や欺瞞の中にいるな」と少し落ち着いた感じで
現状を受け入れることにつながります。
葛藤や欺瞞によるネガティブ感情の渦に巻き込まれて
身動きが取れなくなるのを防げます。
なかなか完全に平穏な気持ちにはなれないのも事実ですが……。

一見すると今回のような内容はネガティブに感じられるかもしれませんが
それすらも「ネガティブに感じている自分がいるな」
と自分で自分を少し突き放して見るようなイメージです。

意志という幻想

誤解を恐れずに言えば,
自我意識の最たるものである「意志」で
何とかなると思い込むのは幻想です。

意志でコンロールできないことは
呼吸や血流のように自分の体内でさえ多々あります。
自分の外側に見るものはなおさらです。

科学=真理そのもの,ではありません。
世界に対する感覚は人の数だけありますし,
自分の「意志」,『黎明』でいう「自我意識」に
相当するものは幻想です。

意志が幻想であるとすると
すべては「できてしまったこと」になります。
それができてしまう魂を持っていたといった感じです。

他人がやりとげたことをうらやんだり,
他人ができてしまうことを自分ができないのを
責める必要もなくなります。

自分ができてしまうことに
集中すればいいのです。