タグ別アーカイブ: 欺瞞

私が自分の感性やありのままの性質を大切にすることを呼びかける理由

東北大学に来たときに元の専門の化学工学を封印して,
材料科学に合わせて成果を迅速に上げないといけないと
思い込んでしまったのは,
私にとっては大きな過ちだったと
今になってはっきりと言える。

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欺瞞と隠蔽が通用しなくなってきている

パナマ文書の流出のように
欺瞞と隠蔽が通用しなくなってきている,
隠しても暴かれてしまう,というのが最近多い気がします。

多額の租税回避を隠しながら,一方で日本の国家財政が財政破綻するというのは
違法ではありませんが欺瞞だと感じます。

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自分の欺瞞や幻想を感じ取る

大学の教員をしているのが
自分自身の最大の欺瞞なんだろうなあ,
と最近思い続けています。

簡単に別の道を選び出せればいいのはわかるのですが
内面に色々なしがらみや葛藤(これらも幻想)があって
すぱっとやめられないから欺瞞なんだろうなあ,とも。

「自分の目に映る=自分の内面にある」欺瞞を
感じ取ると胸の奥が重くなるような感触をもつのは
欺瞞を手放したほうがいいよ,というお知らせ現象かもしれません。

こういうことも文章で書くと
自分の内面を第三者的にとらえる練習になります。

「葛藤や欺瞞の中にいるな」と少し落ち着いた感じで
現状を受け入れることにつながります。
葛藤や欺瞞によるネガティブ感情の渦に巻き込まれて
身動きが取れなくなるのを防げます。
なかなか完全に平穏な気持ちにはなれないのも事実ですが……。

一見すると今回のような内容はネガティブに感じられるかもしれませんが
それすらも「ネガティブに感じている自分がいるな」
と自分で自分を少し突き放して見るようなイメージです。

自分の感性を守るために欺瞞やハラスメントを感じ取る

欺瞞や感性を縛る表現を含む
現象にたんだん敏感になってきていると感じます。

たとえば,大学の賞や同窓会の会費徴収も
評価できるはずもないので評価していることにする欺瞞や
コミュニティに入ることを強制するハラスメントを
多分に含んでいると感じます。

でもこれらも悪いと単純に判断できることではなくて
その影響を減じることの大切さを伝えるために
目の前で起きてくれているのかもしれません。
これも何らかの愛の表現なのでしょう。

ここで流されてしまうと自分の魂にフタがされて
感性が死んでゾンビ化してしまう気がします。

分離意識・自我意識ではなく
普遍意識,つまり深い意識,大きく一つにつながった意識を
想像しつつどうするのがいいか考えていこうと思います。

客観的に評価していることをアピールする欺瞞

次のような方針は数字で評価しやすいことだけで
判断しようという典型例と感じる。
人間の感性を全く信頼しないとこういう方向に行くんだろうなあ…。

■徹底した大学のモニタリング,広島大学
http://hiroshima-u.jp/sgu/page02_02

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太陽光発電にみる欺瞞

太陽光発電と聞くと「エコ」だからどんどん進めればいいのでは,
と思ってしまいます。

しかし,太陽光パネルを森を切り開いて大量に設置して
景観や環境を損ねる弊害が生じていることが
次のページを読むとわかります。

■山梨県,太陽光発電設備の乱開発による景観の破壊について
http://www.pref.yamanashi.jp/quick/2607/26070710.html
■北杜市太陽光発電を考える市民ネットワーク,実態写真
http://hokutonetwork.jimdo.com/実態写真/

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固定観念の押しつけの裏にある欺瞞と隠蔽

「~すべき」「・・・であるべき」「○○ではいけない」
といった固定観念を強制し,
本人独自の感性を否定して
責めたり罪悪感を覚えさせたりする背後には,
言っている側に都合良くもっていこうとしていることを隠蔽したり,
都合良くいかなさそうだと
別の固定観念を出してくる欺瞞が感じられます。

隠蔽や欺瞞があることには
どこかに無理があるように思えてなりません。
隠蔽や欺瞞気づいたら「赦し」によって修正し,
これらの伴わない言動をしていきたいものです。

これが自分自身の喜びにもつながるでしょうし。

参考になったツイートを引用しておきます。
グローバル化にも様々な固定観念がつきまといます。
不用意にグローバルに活躍できる人になれ,
と学生さんに勧めたいとは思えません。

他人を見てもっと好きにすればいいのにと思う一方で……

他人を見て「もっと好きにすればいいのに」
「自分の感性で思いついたこと,方法ですればいいのに」
と思いつつ,
これは自分の内面の投影でもあるので,
自分も固定観念でがんじがらめになっていて
そこから自由になりたいという
魂の叫びの反動じゃないかとも思いました。

何かを教えることは,新たなことで
他人を縛ることにもなりえます。

いかに欺瞞や隠蔽のないあり方でいるか,
否定や強制のない状態を作り出すか,
今の職場はこれに向かう方法を学ぶのに
最善の場所なのかも知れないと思っています。

今の職場に私が居続けられるのも
このような学びを得させるために
起こっているのではないかと……。