パナマ文書の流出のように
欺瞞と隠蔽が通用しなくなってきている,
隠しても暴かれてしまう,というのが最近多い気がします。
多額の租税回避を隠しながら,一方で日本の国家財政が財政破綻するというのは
違法ではありませんが欺瞞だと感じます。
「~すべき」「・・・であるべき」「○○ではいけない」
といった固定観念を強制し,
本人独自の感性を否定して
責めたり罪悪感を覚えさせたりする背後には,
言っている側に都合良くもっていこうとしていることを隠蔽したり,
都合良くいかなさそうだと
別の固定観念を出してくる欺瞞が感じられます。
隠蔽や欺瞞があることには
どこかに無理があるように思えてなりません。
隠蔽や欺瞞気づいたら「赦し」によって修正し,
これらの伴わない言動をしていきたいものです。
これが自分自身の喜びにもつながるでしょうし。
参考になったツイートを引用しておきます。
グローバル化にも様々な固定観念がつきまといます。
不用意にグローバルに活躍できる人になれ,
と学生さんに勧めたいとは思えません。
グローバルに活躍できる素地を持ちつつ、Fラン大卒と同じ初任給に甘んじ、チームの和を第一に奉じ、組織に与えられたミッションを徹夜でも何でもしてこなす人材こそ、日本企業の求めるグローバル人材です。ちなみに自分は会ったことないですが。
— jo shigeyuki (@joshigeyuki) 2015, 4月 3
グローバルに活躍する人材を育てるんじゃなかったのか。グローバルに評価されることをなぜ喜ばないのか。危機でも何でもないはず。【グーグル:東大で「青田買い」AI技術流出に日本危機感 – 毎日新聞】 http://t.co/iHPnRMiNDu
— 中野善夫 (@tolle_et_lege) 2015, 4月 2
他人を見て「もっと好きにすればいいのに」
「自分の感性で思いついたこと,方法ですればいいのに」
と思いつつ,
これは自分の内面の投影でもあるので,
自分も固定観念でがんじがらめになっていて
そこから自由になりたいという
魂の叫びの反動じゃないかとも思いました。
何かを教えることは,新たなことで
他人を縛ることにもなりえます。
いかに欺瞞や隠蔽のないあり方でいるか,
否定や強制のない状態を作り出すか,
今の職場はこれに向かう方法を学ぶのに
最善の場所なのかも知れないと思っています。
今の職場に私が居続けられるのも
このような学びを得させるために
起こっているのではないかと……。