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固定観念から自由になるには「他力」が必要

家庭・学校・職場・地域,放っておくと自分が所属する
組織の固定観念に縛られてしまう。

「固定観念に縛縛られなくていいよ」という言葉は
嘘ではないが言葉だけでは効果が薄いんだろうな。

固定観念からの縛りの影響が少ない人に
職場の外で触れる機会があったから
新たな一歩を踏み出そうと思えたのだと思う。
「他力」は偉大だ。

また,強烈に縛ってきてひどく苦しめてくる人のおかげで
固定観念を手放さざるえない状況に追い込まれることもある。
これも「他力」による固定観念からの開放だ。

そんなことを次のツイートから思った。

固定観念から自由になるには?

固定観念や我慢を手放すには,
これらは手放す行動を実際にやってみて
大丈夫だと実感する経験をするのが
効果的なんだと思う。

「固定観念から自由になっていいよ」と
自分の外から言葉を投げかけてもらうことは
きっかけにはなるが,
この言葉の意味を本当に腑に落とすには
自分自身で体験するしかない。

ただ,いきなり大きな変化を起こすのは
恐怖や不安のブロックが生じてやりにくだろう。
ほんの小さなことと自分が感じるところから
じっくりと,そして試行錯誤しながら進めることになる。

とはいえ,固定観念に縛られることも,
呪縛から開放に向かう過程にいることも,
開放された状態で役割を果たすことも,
深い意識の底ではすべてが味わいことなのだろう。

固定観念に感性を封じられた状態を
悪と決め付けることはできない。

現状がどこにいてもそれはそれで構わない。

お互いのことをもっと放っておいてもいいんじゃないかな

固定観念でお互いを監視して縛りあう,
これって息苦しくないですか?

固定観念が自分の状況に合う瞬間はあるかもしれません。
でもそれは別の瞬間には合わないかもしれません。
ましてや他人に通用するかはわかりません。

固定観念に合おうが合うまいが私たちは大丈夫な存在です。
固定観念に合っているかどうかによる
よしあしの判断なんてなくてもいい存在なんです。

固定観念に縛られすぎると自分の感性が鈍ってきます。
いきなりその瞬間その瞬間に自分に合うことをできるようにはなれないでしょう。
でも固定観念に縛られているのがつらいな,
と感じるのであれば手放してもいいのです。

もっとお互い自由にやっていきましょうよ。
お互いのことをもっと放っておいてもいいじゃないでしょうか。
助けを求められたら手を貸すことを考えるのはもちろんいいですけど。
(助けるかどうか,助け方は相手の状況をよく考えて識別するのも大切)

次の記事を読んでここに書いたことを感じました。

問題なしゾーンの神様=旧約聖書の一神教の神様=お札の神
早く一つ目の新興宗教から抜けよう
黄金の金玉を知らないか?

「自由」とは「選択肢」が多いことなのか?

「自由」とは何か?
と聞かれたら何と答えますか?

「選択肢」の多さをイメージする人もいるでしょう。
しかし,これは本当に正しいのでしょうか?

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