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ストーリーに頼らない研究のあり方

人間の認識パターンとしてストーリーがあったほうが
理解しやすいこともあります。
これは研究においてでさえそうです。
ある意味仮説を立てることもストーリーを考える要素を含んでいます。

ただし,これは「人間が理解しやすい」だけで
ありのままの真実を明らかにしやすいかどうかとは
別次元の話です。

次の記事は,人間の心情としてはストーリーを考えてしまうけれど,
それを受け入れつつストーリーに頼らない研究のあり方も
大事なことを認識させてくれます。

■牛の殺処分を拒否した畜産家が、世界初の実験で明らかにした被曝の影響とは,産経ニュース
http://www.sankei.com/affairs/news/160221/afr1602210001-n2.html

とくに最後のほうにある言葉に重みを感じます。
下に引用しておきます。

「本当だったら何も出ないで幸せな形で終わるのが一番いい。それが住民の帰還や復興にもつながる。しかし、私たちはストーリーも到達点もつくらない。」

ビジネスも研究も教育もスタートは仮説

研究では

  • 今後の世の中に貢献するにはこういった材料の開発が必要だろう
  • ~をしたら…が起こるだろう
  • 現象が起こる理由はこれだろう
  • こうやったらねらった機能が得られるだろう
  • AとBを反応させると○○という性質のものができるだろう

といった仮説を立てます。

ビジネスも始めるときは仮説なのは研究と同じです。

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研究テーマ選びも価値観,仮説も価値観,結果を急ぐのも価値観

研究によって客観的に真実をとらえられると思いたくなりますが,
人間というフィルターで取り込んだ情報を
人間に理解できるように加工して発信せざるを得ません。

たとえば人間は紫外線・赤外線を見ることはできませんし,
小さいものも肉眼では認識できません。
動物には聞こえる超音波も人間には聞こえません。
同じ人間でも視覚や聴覚には幅もあります。

研究では分析装置で人間が直接認識できないものを
認識しやすいように変換したものを
見せているにすぎない部分があります。

あくまで変換したものなので真実そのものか?
と言われると,
完璧に真実にたどり着けているとは言えないでしょう。
真実が分析装置に依存しているわけないでしょうから。

真実に近づく努力をする必要はありますが,
完全な真実に人間は到達できないことも
同時に認識しておくのが大切だと感じています。

また,そもそも研究をしよう,と思うのが価値観に依存しています。
この時点で完璧な客観性も成り立たなくなります。

  • 研究テーマ選びも価値観
  • 仮説も価値観
  • 結果を急ぐのも価値観

研究も価値観の影響をまぬがれないですね。
もちろん理屈や論理の後ろ盾はありますが…。

個人の偏った価値観に固執しすぎないように
自問し続けながら研究していくしかないのだろうと思います。

個人個人で異なる価値観があるからこそ
色々な研究成果が出てくるので
価値観を完全否定する必要もないですね。
特定の価値観にこだわりすぎないのが大事な気がします。