タグ別アーカイブ: モラルハラスメント

安冨歩:合理的な神秘主義,青灯社 (2013) -1-研究は本来個人の感情や感覚から始まるもの

合理的な神秘主義』のとくに第二部以降は
研究に関わる方が読むと,自分のあり方を考えさせられると思います。
私がこの本を読んで感じたことを書いていきます。

この本で私が最も印象に残ったのは最後に掲載されている
探求の源泉の本質か書かれた部分です。
この本は「叢書 魂の脱植民地化」シリーズの1冊で
「刊行のことば」が巻末に書かれています。

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罪悪感や自責の念を手放すには自分の感情を俯瞰してみる

昨日に続いて「責めること」について書いていきます。

責めるなんて必要ないよ,と言われても
それだけで手放せるほど事は簡単ではないと思います。

手放すためのコツがこちらの動画で紹介されています。

■田久保剛(たくぼたけし)Official Channel,
自分を責めずに俯瞰するメカニズムと方法

田久保剛さんのブログでの解説はこちら↓です。
自分を責めない魔法の言葉

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頑張れるのはモラルハラスメントが原因の可能性がある

周囲にこの人は頑張っているなあ,と思う人はいますか?
大学で教員をしていても,勤勉に研究に取り組んでくれる
学生さんはたくさんいます。

ところで,この頑張る人たちは「なぜ」頑張れるのでしょうか?

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「絆」という固定観念・モラルハラスメント

次の記事を読むと人と人のつながりについて考えさせられます。
一見良さそうに聞こえる言葉も
それについてまわる幻想を認識する必要があります。

■「絆」に頼る危険性:もっとも社会的に弱い人が、もっとも排除されやすい
http://www.ikedahayato.com/20140925/13436687.html

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巧妙に仕組まれたモラルハラスメントに気付こう

少しでも広まって欲しい内容なので
ブログにも埋め込んでおきます。

モラルハラスメントという「暴力」から
世の中が少しでも開放されることを願って…。

元は谷口賢晋さん(その辺のクマの中の人)が書かれた文章なので
共感された方は次のリンクから「いいね」をしてください。
https://www.facebook.com/spiritualflow?fref=photo

その辺のクマシリーズの動画はこちら。
https://www.youtube.com/user/Genieframe

安冨歩さんの集中講義

安冨歩さんの集中講義
「親鸞ルネサンスとは何か
~親鸞と清沢満之とを導きとする学問の再編成~」

の収録動画を紹介します。

見る人によって感じるところは様々だと思いますが
安冨歩さんの持論に幅広く触れることのできる集中講義の動画です。

個人的に印象に残ったのは次の点です。
キーワードだけ書いておきます。

  • 「立場」がないと無縁になってしまう社会システム
  • ホースセラピー
  • 「他力」と「自力」,「他力」によってしかもたらされないこともある
  • 『論語』の中心的な概念
  • システマティック座敷牢
  • 資金をショートさせないためのローン返済と資金管理
  • 合理的な神秘主義
  • モラルハラスメント
  • 微分化された暴力
  • ハラスメントに嵌っている人は助けられるのか?

任期つきで働いていると職を失う恐怖はつきまといます。
立場がなくなって無縁になることが
根本的な恐怖の原因なんだろうなと感じました。
立場主義の影響を私も強く受けてしまっていますね。

今の自分には非常に重要なことを話されていると強く感じます。
でも学生のころだったら興味を感じなかっただろうなとも思います。
興味も固定的ではないということの顕れだし,
必要なことが最善のタイミングで現れることでもあるかもしれません。

IWJの記事とサンプル動画はこちら
(現在は会員登録しないと全体を見ることはできません)

本当に相手を助けたければ助けようと思ってはいけない

次の集中講義の4日目でモラルハラスメントに陥っている人を
他人が直接助けることはできないことが語られています。
(現在はアーカイブになっており,IWJ会員のみ閲覧・視聴ができます)

2014/09/11安冨歩教授 集中講義「親鸞ルネサンスとは何か ~親鸞と清沢満之とを導きとする学問の再編成~」
(リンク先に集中講義のダイジェストがあります)

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しつけや教育が罪悪感や無価値感の源泉になることもある

安冨歩さんの生きるための経済学(NHKブックス)
「第五章 生命のダイナミクスを生かす」を読むと,
しつけや教育と称して「~であるべき」「~をしないといけない」と
固定観念を植えつけることが,行動を止めたり,
行動を通じた学びを妨げたりしているなあ,
と感じました。

通常は固定観念に外れた場合,叱責されます。
これによって固定観念に外れる行為に罪悪感をもったり,
固定観念に合わせられないことに無価値感をもつようになったりします。
このような感情の中で学びを得ていくことはできないでしょう。

自分で考えた行動で怒られるくらいなら
言われたとおりに動くだけでいいと思ってしまうのも無理はありません。

いわゆる厳しい家庭で育つほどこの傾向は強まりそうです。

安冨歩さんは固定観念の押し付けで相手の学習回路を閉じてしまうことを
モラルハラスメントとよんでいます。

ただこれへの対策を取るのは非常に難しいです。

「~であるべき」「~をしないといけない」と
言ってくれるのはいいことだと
言われる側も思い込んでいるため,
被害にあっているとわかりにくい面もあるからです。

次のリンク先の動画も参考になります。

リンク先の一番上の動画に出てくる話で,
ハラスメントと認定されるには,
・継続的 ・情緒的 ・隠蔽的
という条件が必要なんですね。

教える側のほうが権力が大きくて露見しにくいのも
大いにありそうです。

■IWJ,2014/09/11 【京都】安冨歩教授 集中講義「親鸞ルネサンスとは何か ?親鸞と清沢満之とを導きとする学問の再編成?」四日目(動画)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/168311
(現在はIWJの会員だけ全編をご覧になれます)

固定観念にとらわれずに自分のやりたいことを
やりたいようにやってもいいはずです。

そのかわり,自分に起きる現象を素直に受け止めて
対応する方法を学んで実践していけばいいのです。

『論語』でいう「仁」のダイナミックな学習サイクルの中にいれば,
外から教育を強制する必要はないのかもしれないしれませんね。

せいぜい教育する側ができることは
「仁」の学習サイクルを促すことなのでしょう。
いや,本来ならこのサイクルは自然と回るはずなので
邪魔をしないことのほうが重要かもしれません。