タグ別アーカイブ: 生きるための経済学

国やお金を信頼するのも偏った価値観・固定観念に過ぎない

次のエントリを読むと,
国もお金もあって当然と考えているのも
絶対的な状態ではなくて
偏った固定観念・価値観の一つでしかないと感じます。

チューク州の人たちは,魂にフタを感じにくい
穏やかな暮らしぶりなんじゃないかと想像しました。

■国と個人,Chikirinの日記
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20150614

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アダルトチルドレンでない人は空気が読めない?

次の記事を読むと蛭子能収さんもアダルトチルドレン(AC)度が低いと感じます。
魂にふたをされる,ふたをするのを好まないのが伝わってきます。

リテラ,あの蛭子さんが「安倍首相の右翼的な動きが怖ろしい」と発言する理由

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『生きるための経済学』-2-モラルハラスメントが激しい労働・消費の根源

安冨歩さんの『生きるための経済学』第七章 自己欺瞞の経済的帰結で
モラルハラスメントが激しい労働・消費を引き起こすことが書かれた
部分(pp. 203–213)も強く心に刺さるところがあったので
まとめておきます。

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安冨歩:生きるための経済学―〈選択の自由〉からの脱却,NHKブックス (2008) -1-貯金は不安解消の特効薬ではない

モラルハラスメントに関連して紹介したことはありますが,
あらためて書籍の名前を記事タイトルにして本書の内容を紹介します。

お金に直接関係していてとくに印象に残ったのは
なぜお金を貯めてしまうのか?
について書かれた部分です。
(pp. 199–201 「蓄財の衝動はどこからくるのか」)

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心の平安が訪れない,自分の役割を見出せないのは否定や強制があるから

安冨歩さんの『ハラスメントは連鎖する』
『生きるための経済学』(第五章以降)で書かれていることと
葦原瑞穂さんの『黎明』(下巻,第二十四章「教育」)に
書かれていることは本質的に同じだと感じました。

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しつけや教育が罪悪感や無価値感の源泉になることもある

安冨歩さんの生きるための経済学(NHKブックス)
「第五章 生命のダイナミクスを生かす」を読むと,
しつけや教育と称して「~であるべき」「~をしないといけない」と
固定観念を植えつけることが,行動を止めたり,
行動を通じた学びを妨げたりしているなあ,
と感じました。

通常は固定観念に外れた場合,叱責されます。
これによって固定観念に外れる行為に罪悪感をもったり,
固定観念に合わせられないことに無価値感をもつようになったりします。
このような感情の中で学びを得ていくことはできないでしょう。

自分で考えた行動で怒られるくらいなら
言われたとおりに動くだけでいいと思ってしまうのも無理はありません。

いわゆる厳しい家庭で育つほどこの傾向は強まりそうです。

安冨歩さんは固定観念の押し付けで相手の学習回路を閉じてしまうことを
モラルハラスメントとよんでいます。

ただこれへの対策を取るのは非常に難しいです。

「~であるべき」「~をしないといけない」と
言ってくれるのはいいことだと
言われる側も思い込んでいるため,
被害にあっているとわかりにくい面もあるからです。

次のリンク先の動画も参考になります。

リンク先の一番上の動画に出てくる話で,
ハラスメントと認定されるには,
・継続的 ・情緒的 ・隠蔽的
という条件が必要なんですね。

教える側のほうが権力が大きくて露見しにくいのも
大いにありそうです。

■IWJ,2014/09/11 【京都】安冨歩教授 集中講義「親鸞ルネサンスとは何か ?親鸞と清沢満之とを導きとする学問の再編成?」四日目(動画)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/168311
(現在はIWJの会員だけ全編をご覧になれます)

固定観念にとらわれずに自分のやりたいことを
やりたいようにやってもいいはずです。

そのかわり,自分に起きる現象を素直に受け止めて
対応する方法を学んで実践していけばいいのです。

『論語』でいう「仁」のダイナミックな学習サイクルの中にいれば,
外から教育を強制する必要はないのかもしれないしれませんね。

せいぜい教育する側ができることは
「仁」の学習サイクルを促すことなのでしょう。
いや,本来ならこのサイクルは自然と回るはずなので
邪魔をしないことのほうが重要かもしれません。