タグ別アーカイブ: 自我意識

無責任に聞こえる返答しかできない相談もある

次の記事を読んで,安冨歩さんの本に出てきた
「無責任が本当の責任の取り方」
という表現を思い出しました。

■ヨス:「仕事辞めたいわー」みたいな相談を友達によくされていた話,ヨッセンス
http://yossense.com/wanna-quit-job/

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意志という幻想

誤解を恐れずに言えば,
自我意識の最たるものである「意志」で
何とかなると思い込むのは幻想です。

意志でコンロールできないことは
呼吸や血流のように自分の体内でさえ多々あります。
自分の外側に見るものはなおさらです。

科学=真理そのもの,ではありません。
世界に対する感覚は人の数だけありますし,
自分の「意志」,『黎明』でいう「自我意識」に
相当するものは幻想です。

意志が幻想であるとすると
すべては「できてしまったこと」になります。
それができてしまう魂を持っていたといった感じです。

他人がやりとげたことをうらやんだり,
他人ができてしまうことを自分ができないのを
責める必要もなくなります。

自分ができてしまうことに
集中すればいいのです。

「好きなことをやれ」にも自分を縛る固定観念が多く潜んでいる

次の記事から,
好きなことを仕事と認識しやすい状態にしないといけない
というのも固定観念なのがよく伝わってきました。
また,「好き」かどうかにこだわりすぎるのも
返って自分を縛ってしまうなと感じました。

■あらたメディア,悲しきマニュアル的アドバイス「好きな事をやれ」で滅ぶニート達 http://arata-media.com/bupa/perish/

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「自力」と「他力」も「自我意識」と「普遍意識」も区別は明確ではない

「自力」と「他力」も区別は明確ではない話が
安冨歩さんの今年の大谷大学での集中講義に出てきます。
(講義の録画はこちらで見られます,
2日目午後の講義の部分がとくに関連します)

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「勇気」の必要のない小さな変化を積み重ねよう

以前書いた『「意志」「根性」「勇気」はあてにならない』の追記です。

大きい変化には抵抗があるのは自然なことです。
現状→安全→このままでいたいという認識のパターンが 無意識に働いていますから。

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「みずから」より「おのずから」できることを大切にしたい

「自ら」が「みずから」とも「おのずから」とも読めると書いてある
次のツイートに
「みずから」だと自我意識的で(普遍意識と対極にある状態),
「おのずから」できてしまうところに
自我意識を超えた大事なものが
隠れていることが表現されています。

また↓ツイートから,
「おのずから」できてしまうことを焦点を当てて
「おのずから」ではできないことを責めなくてもいいんだろうな
と思いました。

外部から来る基準に合っているかどうかよりも
それが自分に合うかどうかのほうが大事です。

このツイートでふと思ったのですが,
「おのずから」できてしまうことに
「勇気」は必要ないはずです。
自然とできてしまうんですから。

「勇気」って一体何なんでしょう……?
勇気には自我意識的に何かに逆らって無理やりする
印象を受けます。

「勇気」が必要になる背景には
不安や恐怖がつきまといます。

不安や恐怖は実体のない幻想ですから
勇気が必要というのもまた幻想と言えそうです。

勇気を振り絞って何かをすることは良いことだと思う
価値観が私にもありますが,この価値観があること自体が
自我意識の支配がまだまだ強いことの顕れだと感じます。