人間という肉体を与えられてこの世に私たちは存在している。
他者と肉体や意識の境界を認識する機能,
いわゆる分離意識も備えている。
これは肉体を使って肉体の数だけ多様な経験・表現・学びを得たいと
分離意識の底にあるすべてがつながっている意識,
いわゆる普遍意識の望みをかなえるため。
普遍意識の属性(喜び,満足,愛)を背景とした努力(に見える行動),
自分の内側にある感性を生かしてできてしまうことをしてもいいし,
分離意識,不安や恐怖からの逃避を目的とした努力,
「努力すべき」「努力しなければならない」に従った行動をしてもいい。
前者の場合は,たとえ行動量が多くても
「努力しなければならない」
「努力と自他ともに認められるじょうたいでないとダメ」
とは明確には感じていない状態といっていい。
努力しているかどうか気にしないともいえるだろうか。
どちらが良いか悪いかといったジャッジはない。
どちらが背景だったとしてもそれでないとできない学びや役割がある。
ただ,個人的には普遍意識の属性を背景とした努力のウエイトを
上げていきたいとは思う。
次の記事にあるロースクールに関連した人生の歩みは
博士課程進学全般にも当てはまりそうな話。
一端進学しちゃうともったいないから行けるところまで……
となりがちです。
私自身も今逃げどころというか撤退のしどころを模索しているので
身につまされる話でもあります。
■20160618 いい人生の探し方 第二話,
Chikirinの日記
次の安富歩さんのインタビュー記事を読んで
分離意識の影響は本当に強烈だと感じつつ,
対策を言葉だけで表現することは基本的に不可能だなとも思いました。
■森脇早絵:
仕事や家庭のストレスの根源にある「罪悪感」を癒すためにやれること,
東京大学東洋文化研究所 安冨歩教授に聞く「ストレスの正体」【3】,
日経Gooday
女性の肉体で生まれた男性の魂をもつ方のお話を紹介しておきます。
これを読むとありのままの魂の性質を生かすのが大事なこと,
平均値から外れる性質があるからこそできる学びや役割があるのを
認識させられます。