カテゴリー別アーカイブ: 心理・真理

外から与えられた固定観念から自由になって自分のありのままの性質・感性を活かす方向に舵を切りなおすための内容です。すべてが人つながりととらえる普遍意識の望む役割・学びを自我意識を通じて成就するのにつながる情報や学びをシェアします。

どっちでもいいんじゃない?

学校や職場に行っても行けない日があってもいいんじゃない?
大学行っても行かなくてもいいんじゃない?
習慣が続いてもいいし続かなくてもいいんじゃない?
雇われてても雇われてなくてもいいんじゃない?
結婚しててもしてなくてもいいんじゃない?
子供がいてもいなくてもいいんじゃない?
友達がいてもいなくてもいいんじゃない?
夢や希望があってもなくてもいいんじゃない?
目標があってもなくてもいいんじゃない?
時流に乗れても乗れなくてもいいんじゃない?
有利な立場や尊敬が得られてもそうでなくてもいいんじゃない?
他人の評価があってもなくてもいいんじゃない?
マイホームでも賃貸でもシェアハウスでもいいんじゃない?
お金を稼げても稼げなくてもいいんじゃない?
お金があってもなくてもいいんじゃない?
○○が好きでもそうでなくてもいいんじゃない?
~ができてもできなくてもいいんじゃない?
早くできてもゆっくりしかできなくてもいいんじゃない?
さっさと成功しても失敗し続けてもいいんじゃない?
期待どおりになってもならなくてもいいんじゃない?
弱点を克服してもしなくてもいいんじゃない?
長所を生かしてもそうでなくてもいいんじゃない?

絶対的なジャッジなんてきんのよ。
その場その場で本人が感性と思考を働かせればそれでいんじゃない?

行動してもしなくてもいい,他人の行動を促進させてしまうのは余計なお節介かもしれない

このブログを始めたころに
行動を促進するには?」なんて記事を書いたのですが,
今になってみると
「行動=善」の固定観念が背景にあるから
対策を考えようとしてしまっているなと感じます。

自分の魂が設定してきた課題に関連することは,
小手先の自我意識的な対策なんてしなくても
勝手にできてしまうか,
やらざるを得ない状況に自然と追い込まれてしまうのが
本質のような気もしています。

やろうかどうがもがくこと自体も味わいたいこと,
心の奥底が求めている課題に関連していることかもしれません。

他人の行動を促進してしまうのも
無理矢理感が出てしまうと余計なおせっかいになってしまいます。

行動が止っているときもその人にとっては
かけがえのない必要なプロセスなんだろうなと今では思います。

深い意識の底はめまぐるしく活動している可能性もありますから。

要は動けないことを責めなくていいってことです。

とはいえ動けないのがあまりに苦痛なときは
失敗できないレベルの小さいことをやってみるのは
悪くはないとは思います。

橘玲『幸福の「資本」論』ー深い人間関係がなくても幸せになれる

お金・心理・人間関係・幸福感の関係を総合的に考察した
橘玲さんの『幸福の資本論』で印象に残ったところを紹介します。

最も印象に残ったのは,
p.132の職場でうつになった方の本当の原因は長時間労働ではなく,
能力が仕事に見合っていなかったことだったというくだり。

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ゆっくりが語る博士課程進学を決める前に提示したいこと Part8 あなたは何をどうやって表現したいですか?

Youtubeでご覧になりたい方はこちら↓です。
ゆっくりが語る博士課程進学を決める前に提示したいこと Part8 あなたは何をどうやって表現したいですか?

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自分の感性で見つけた道を歩もうぜ

SMAPを離脱した3人が作ったサイト『新しい地図』にある動画。
自分の感性で見つけた道を歩もうぜ,というのが伝わってくる。

■新しい地図

社会的に立派であることという枠は多くの人を息苦しくさせている。
そしてその枠は絶対的に正しいわけでもなく,
物理的に存在するわけでもない幻想みたいなもの。

この枠から出ることを促してくれているし,
そうすることが必要な世の中になってきているんだと思った。

本当に優しい人とは?

いい意味で他人に興味がない,
言い換えると他人に介入,余計なお世話をしない,
圧力もかけないし強要もしない,
要はハラスメントをしない。

こういう人はハラスメントを強く受けている人には
優しく見えるんだと思う。

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楽しむ,怖がるといった「感覚」を得てもらうためにできる論理的な工夫がある

もちろん面白い作品を作るのに「感性」は必要だが,
100%感性だけでするのではなく
土台には言葉を中心にしたノウハウとしての「論理」があるのを感じた。

このように感性が重要と思いがちな分野の背景にも
ロジカルなノウハウがあるのを知るのは楽しい。

論理と感性の両輪を回すことの大切さを改めて学ばせてもらった。

何もしないのも全体の調和への貢献になりうる

「貢献」と聞くと何か行動すること,
何かを生み出すことと思いがちですが,
「何もしないこと」も貢献になりうるんじゃないかと思っています。

余計なことをしないので
ハラスメントを受けることもありませんし,
他人にハラスメントを働くこともありません。
ハラスメントの連鎖を断ち切ること,
さらにはハラスメントに魂のフタを取り除くのに
貢献しています。

ぼーとしたりニコニコしているときは
他人に暴力を働こうとは思わないでしょう。
このような穏やかな気持ちは周囲に広がっていきます。

ですから「常に行動してないとダメ」なんてことはないんです。
行動できないときがあったっていいんです。

何もしていないようでも意識の深いところでは
思考や気持ちの整理をしていたり
次に何をしようか模索していたりもしますから
こういうときも無駄ではないのでしょう。

次のゆうきゆうさんのツイートも素敵だなと感じました。