相手は自分が思っているほどネガティブではない。
相手への非難や批判が行き過ぎたものになりやすいのは,
自分の作ったネガティブ「像」に振り回されてしまっていて,
相手の本来の性質を見ていないから。
攻撃的表現は「規制」ではなくならない
前回の攻撃的な表現は放置でいいのか?
という疑問に対する考察を今回はしていく。
もちろん攻撃的な表現は,
なくすことができるならそれに越したことはない。
現在でも他人を誹謗中傷する表現は法律で禁止されている。
攻撃的表現の「規制」は
このような表現の連鎖を止める効果はあるので
全く意味がないわけでないだろう。
ただ,「規制」だけでは
攻撃的な表現をしてしまう根本的な原因に対処できない。
表現の規制なんてしても目的は達成されない
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頑張っているように見える行動をしてもしなくてもOK
次の文章を読んで,「がんばれ」って言葉は
言う側が思うような意味を相手に及ぼさないことが多いよなと感じた。
言う側はよかれと思って,励まそうと思って言うんだろうけど,
その意図で相手に伝わるとは限らないことは認識しておきたい。
相手との人間関係や環境から総合的に発するべきか感じ取ってから
使ったほうがいい言葉だ。
すでに本人なりに精力的に行動している人や
今は動きたくないなと思っている人には余計なお世話と思われるだろうし,
動きたいけと動けない状態の人は追い詰めるか,
落ち込ませる効果しかない気がする。
動くのも大切だけと
立ち止まって考えたり,思い悩んだりするときもあっていい。
どちらも意識の深い部分では味わいたい瞬間なのだから。
■人を成功させる最強の一言,ナリ心理学
個人的に間違えやすい言葉の防備録
変換ミスで間違えやすい言葉を並べておく。
■つまづく→つまずく
ただし,「気付く」は「気づく」
■自分自信→自分自身
■「意志」と「意思」(前者のほうが積極的にやり遂げる意図が強い)
■「課程」と「過程」(前者は学校のカリキュラム)
■「薦める」と「勧める」(前者は人や作品に,後者は動作に使う)
■「終了」と「修了」(後者は大学院の学位を取ったときに使う)
■リンクを「貼る」→「張る」
■動作を並べるときの「たり」は後ろの動作にも「たり」を付ける
世の中の成功法則は「すべき」ではなく「できてしまった」ことから来ている
普遍意識の属性を背景とした努力をするのか不安や恐怖からの逃避を目的とした努力をするのか
普遍意識の属性(喜び,満足,愛)を背景とした努力(に見える行動),
自分の内側にある感性を生かしてできてしまうことをしてもいいし,
分離意識,不安や恐怖からの逃避を目的とした努力,
「努力すべき」「努力しなければならない」に従った行動をしてもいい。
前者の場合は,たとえ行動量が多くても
「努力しなければならない」
「努力と自他ともに認められるじょうたいでないとダメ」
とは明確には感じていない状態といっていい。
努力しているかどうか気にしないともいえるだろうか。
どちらが良いか悪いかといったジャッジはない。
どちらが背景だったとしてもそれでないとできない学びや役割がある。
ただ,個人的には普遍意識の属性を背景とした努力のウエイトを
上げていきたいとは思う。