「放っておいても大丈夫なことは思いのほか多い,問題な人や出来事なんて本当はない」
で他人を放っておきましょうと書きました。
このためには他人を「信頼」する必要があります。
でもこの「信頼」というのがいまいちわかりにくいんです。
「信頼しろ」と言われただけで何かを信頼できることは
なかなかないんじゃないでしょうか。
返って怪しいと思えてしまうほどです。
「放っておいても大丈夫なことは思いのほか多い,問題な人や出来事なんて本当はない」
で他人を放っておきましょうと書きました。
このためには他人を「信頼」する必要があります。
でもこの「信頼」というのがいまいちわかりにくいんです。
「信頼しろ」と言われただけで何かを信頼できることは
なかなかないんじゃないでしょうか。
返って怪しいと思えてしまうほどです。
安富歩さんの大谷大学での集中講義が公開されています。
そのので3日目の2限目(2/5の動画)で
■IWJ,2015/09/09 【京都】9.7~10安冨歩先生の大谷大学での集中講義3日目(動画)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/262780
他人に傷つけられたことのある人間は警戒心をもってしまい
心の底からの信頼ができない
という話が出てきます。
昨日の記事に続いて
理解をどうやったら深められるのかを書いてみます。
昨日も書いたように物事を完全に理解するのは不可能ということは
厳密にいうと常に理解不足なので
学びを深め続けられるかどうかが大事になってきます。
「もっと勉強しろ!」
というのは間違っていませんが
勉強するという表面上の行為をするために
どうやったら自分内面がやる気になるのかを
考える必要もあると思います。