タグ別アーカイブ: 比較

ファミマのクリスマスケーキ ショコラ・ミルフィーユ:濃厚でサクッとカリッとした食感,ミルフィーユ・シャンティとの比較

クリスマス当日の12/25の午後4時ごろ
ファミリーマート 生駒上町店
に行ったら
クリスマスケーキが割引で何種類か売っていたので
「ショコラ・ミルフィーユ」を買ってきました。
定価は税込みで3200円なのですが,
半額になった上に恋割の300円引きが適用されて1300円でした。

2年前には「ミルフィーユ・シャンティ」を食べた記事
公開しています。
この記事も比較しながらの説明をしていますが,
画像込みで見比べたい方はどうぞ。
これも半額になっていました。

「ショコラ・ミルフィーユ」の直径は13.5 cm,
高さは本体は6 cm,上の飾り付を入れて8 cm,
ケーキ本体は634 gでした。

ファミマのクリスマスケーキ ショコラ・ミルフィーユ_全体像

>>続きを読む

印象操作につながるデータの出し方をしていないか?

おととい書いた「印象操作に踊らされていないか?」では
言葉による印象の影響を書きましたが,
グラフのような視覚に訴える情報は
より印象の影響を受けやすくなります。

グラフによる印象操作の例と解説は次の記事がわかりやすいです。

■松谷創一郎:
グラフでウソをつく方法――統計リテラシーのための基礎文献
Yahooニュース 2015年2月16日

>>続きを読む

自分の心からしたいことは比較や相対評価だけでは決まらない

人間は物事をランキングや比較といった相対評価で判断しがちです。
しかし,自分の心からしたいことはこれでは決まりません。

つらいときも「あの人よりはました」「あのときよりはまだいい」
と相対評価で自分をごまかそうとしますが,
本質的な解決にはなりません。

人間という器を使う以上,相対評価に依存せざるを得ない部分は
どうしても残ります。
でもそれだけでは本当の意味で自分が納得することをするのが無理なのも
認識しておいたほうがよいと感じます。

「普遍意識=本当の自分」は,分離感のない存在なので
相対から絶対に視点が変わるからです。

研究の世界にいると相対評価による議論がベースになっていて
比較に依存しがちになっているとも思います。

『黎明』『生きるための経済学(第三章)』を読んで
こんなことを感じました。